「価値観とは何なのか」についての最大公約数的な見解はWikipediaに書いてある通りでよいと思います。
価値観(かちかん、英:sense of values[1])とは、何に価値があると認めるかに関する考え方[2]。価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となる ものの見方[2]。ものごとを評価・判断するときに基準とする、何にどういう価値がある(何には価値がない)、という判断[3]。
「価値観=何に価値があると認めるか」
それはそれで間違ってないでしょうが、個人的な納得感を上げるためにここでは個人的な解釈をいくつか追加しておきたいと思います。
価値観とは〇〇であってXXではない
- めったに変わらないものであって移ろいやすい気分的なものではない
- 根底にある信念に近いものであって立場によって変わるものではない
- 現在の自分のありようを構成するものであって追い求める理想像ではない
- 主観での是非であって善悪ではない
価値観という言葉の定義が僕よりも広い人・狭い人もいると思います。その人と僕は、この部分の解釈が違っていると思います。
価値観にはプロパティがある
コンピュータのファイルにはプロパティがあります。ファイルサイズやファイルパス、音楽ファイルならビットレート、フレーム率、エンコード方式・・・
それと同様に、僕は価値観にもいくつもの構成要素がある、と考えています。
価値観の方向性
どのベクトルを向いているか、価値観の方向性がありそうです。方向性があるからこそ、交われない価値観が存在します。たとえば宗教の一神教同士は決して互いを認め合うことが無いのは真逆のベクトルを持っているからだと考えています。
ただ、このベクトル、単一の平面と考えると筋が通らないことがありそうです。複数のレイヤーを持った平面なのか、立体なのか、絶対値の座標軸ではなく相対的なものなのか・・・考えがまとまれば追記します。
価値観の強度
同じ価値観を持っている同士であっても、執着度合いには差があります。唯一絶対の正解・正義として妄信するほどその価値観に依っていることもあれば、どちらかと言えばそうかも?程度に浅く持っている価値観もあります。
強制性
自分がそうであればい、という自分だけで完結するのはある意味平和な価値観です。
「他の人もみんなこう考えるべきだ」と他人への強制を伴うものだとトラブルのもとになります。
再度宗教に絡めますが、方向性が真逆の価値観を互いに拡散しようとしているのが宗教問題が終わらない理由です。双方が「相手の価値観を認め合え価値観」を持っている宗教であれば争いは起こりえません。
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